無外如大禅尼は仏門に入るまでは「千代野」とも呼ばれたとされ、宝鏡寺の法類である宝慈院も無外如大禅尼像(重要文化財)を安置祀り、御所号「千代野御所」を賜りました。
千代紙は初め京都の公家社会で育ち、本千代紙、京千代紙の名で広がったとも言われております。
宝慈院は、無外如大禅尼が一時期居住された岐阜の松見寺近く、美濃和紙の産地である美濃大矢田郷から美濃紙を運搬、販売する独占権を得ていた紙商人(近江国枝村商人)が御用商人であり公事銭が納められました。
宝慈院では貯えのあったこの美濃和紙に心得のある尼僧たちが、馴染みある有職文様の取り入れた飾り絵を、懸け紙に心をこめて添えたりし、それ故に御所号の「千代野御所」から千代紙の名が生まれたとする伝承があります。
この由来を大切に、このたび古を偲び、無外如大禅尼生誕八百年の令和五年に美濃和紙(原材料美濃産)に天然染料を用い、有職文様を染めて他に類のない千代紙を再現いたします。
※参考文献「京からかみと千代紙」久米康生著
尼門跡寺院は内親王や皇室、貴族の女性が住職になった寺院で、古くは比丘尼御所とも呼ばれ、御所号も賜りました。
尼門跡では仏道の研鑽のみならず、宮廷における文化・芸術を中心に教養を積み、さまざまな女性たちの文化サロンとしての役割も果たしております。
一般社団法人「尼門跡古文化研究所」は、令和三年五月に宝鏡寺役員、有志の方々により設立されました。
この法人では、尼門跡に関連する歴史・文化・芸術の調査研究および啓蒙活動により、有職故実に関わり深い日本文化の向上と発展に寄与することを目的といたしております。
尼門跡の一つである宝鏡寺は室町時代、無外如大禅尼(千代野)が開山された、尼五山第一位景愛寺の第六代華林宮惠厳禅尼が開山され、景愛寺の法灯を今も受け継ぐ臨済宗(禅宗)単立寺で、御所号は「百々御所」を賜りました。
御本尊聖観世音菩薩は、伊勢の二見ケ浦より上がられ、ときの後光厳天皇により御黒戸に安置されましたところ、吉祥が現れたことから、光厳天皇皇女 華林宮惠巌禅尼が開山され、後光厳天皇より宝鏡寺の名を賜りました。
この地には日野富子が出家した大慈院も隣接してあり、今は宝鏡寺が包括しております。幕末には幼少期の皇女和宮もお住まいになりました。
堂宇は本堂はじめ多くが京都市指定有形文化財になっております。傍らに流れる小川はかつて「応仁の乱」東西陣の境となった清流でした。境内には椿などの珍しい花々も観賞することができます。
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